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-幼少期-
兵庫県神戸市須磨区の山の方で生まれる。
三兄妹の真ん中B型のいわゆる癖強い奴。
とんでもなく日焼けしていて、初見の人が二度見するくらい。
日本人じゃないと思われたことも。
母親いわく、兄が活発で僕を抱えながら追いかけたり海にも行って
真っ黒になったそう。
とにかく動くのが好きで、
食べるより遊ぶ、走る。
『車に轢かれるよ!』と言われ
「車より足速いから大丈夫!」と言ったらしい。
運動神経は良い方で1歳の頃、母親とトイレに居る時
タオル賭けにぶら下ってた事から体操を習わそうと思ったらしい。
3歳で逆上がりが出来てたそう。
幼稚園では竹馬で代表者が階段のぼりをする時、
オリックスの選手方が来た時のバッティングする人、
跳箱のお手本など、
必ず代表をさせれられる。(運動系だけ)
兄は長男で父方の祖母から気に入られ、
妹は女の子で母方の祖母から気に入られ、
自分の存在をアピールしたい、
でも長男でも女の子でもない、賢くも無い。
何も取り柄が無い。
行き着いたのが”身体を張って目立つ”だった。
-小学生時代-
1年生の時は身体を張ると
皆が笑ってくれる、受け入れてくれると思い
とにかくふざけまくる。
毎日親か先生に怒られるレベルのヤンチャぶり。
授業中大声出す、先生の邪魔をする、席から離れる。
テスト中自分で廊下に机を運ばされてテストをする。
純粋に好奇心も強く興味が沸くと
迷惑考えず何でもやっていた。
外では知らないおっちゃんに怒られることも。
門限守らない、友達に怪我(悪気は無い)で帰ってから電話で知らされていた親が怒るなど。なかなかぶっ飛んでいた。
・高いところから飛び降りる遊び
・マンションの水道パイプよじ登る
・山だからボールが歩道に出たら転がっていく
→道路の真ん中を全力疾走でボール追いかける。
スーパーボール追いかけた時が一番やばかった。
・溝の中をくぐって猫追いかける
・走ってる車の屋根に唾飛ばして当てるゲーム
・駐車場の車の屋根を滑り台代わりにする・・・
大人になってから聞いたが
家族に『本気で大丈夫かこの子』
と思われていたらしい。
2年生の時からちょっとずつ変化していく。
授業の発表で食い気味に答えていたら
「静かに手を上げて下さい」
答えても「間違いです」
そこからだんだん自分の意見を答えれなくなっていく。
友達も好奇心のままにやってたら怒るようになっていく。
「あれ?駄目な事してる?」
作文が大嫌いで大抵文章は「僕は、」で一時間終わっていたのが
飼っていたカミキリムシが死んだ悲しさで4ページ作文を書く。
先生に「これは賞貰えるかもしれないよ、応募するね」
と言われたまま提出されなかったのが
人を信じれない始まりだったのかも。
ちょっとした親との約束も忘れられる、また今度
というのが重なったりで、人の言葉を信じれなくなっていく。
だから行動で判断してしまう。
6年生の頃には真面目が偉い、右へ習えが正しいという偏った常識に染まる。
我慢が偉い、納得いかなくても謝るのが偉い、
怒らない、喧嘩しない、クラスみんな仲良く、
先生の言う事を聞く、勉強出来てスポーツ万能が良い・・・
足が速いとカッコいいけど、
大人になって足が速いのは意味が無い・・・何それ。
体育委員の時、下の学年の滑り台逆走を注意したら、
大人数で逆に文句言われる。
そこから人数で物言う人達が嫌いになる。
1年~中1まで器械体操を習っていた時
”失敗すると怒られる”を繰り返していた為
「失敗は恥」と言う概念がついていき
試合では親の圧が怖く逆に本領発揮出来なかった。
大人になってからもその概念がこべりついて
「失敗するからやらない」「リスクを無くしてから動く」
というとんでもなく行動スピードが遅くなる。
思い返すと小学生時代
自分が大きく変わったきっかけが多かった。
親友もいたけどみんな受験や違う中学、転校など誰も居なくなる。
そういえばみんな頭良かった気が(笑)
後々聞いたら京大に行った子も。
スポーツはずっと得意だった。
器械体操はその時代マイナースポーツで
学年に2人しかいなかったから
中途半端な技術でも、いつもヒーローだった。
3年でバク転、4年で鉄棒け上がりができた程度。
6年生から腹筋が割りたくて毎日腹筋を始める。
寝る前に1日200回(小学生の内に腹筋が割れる)
-中学生時代-
思春期真っ只中。
身長が入学時149cmだったのが卒業時168cmと約20センチ伸びる。
反抗期が激しく、毎日家族喧嘩。
そこから喧嘩=手が出るになる。
3つの小学校が混ざった中学。
母校からはかなり少ない人数で
クラスに数人しかいないと言う完全アウェイな始まり。
勉強が超苦手で英語の『リピートアフタミー』からの
4月の綴り”April”が『エイプロー』と言う意味の分からなさから
勉強を諦める。
トップレベルの成績の子、一教科の点数に
五教科合計点が負けた時は衝撃を受けた。
そんな底辺の学力なのに音楽のリスニングテストは
ほぼ満点!聴覚は昔から優れていたみたい。
小学校ではそんなに関わらなかった幼馴染と
中学から仲良くなる。
今でも遊ぶ腐れ縁。(腐れ縁編で詳細)
「最近走るのが好きになって来た」と親を説得して
陸上部(1500mメイン)に入部。
本当の理由は体操をどうしても辞めたいのと
男女共同の部活だったから。
腐れ縁の友達も同じ部活。
モテたい気持ちが強く、
ダサい姿を見せたら、モテないと思い何も出来なくなる。
なのでダサい事を言わないように女子と話せなくなる。
アピール出来るのがスポーツだけだったから
それ以外は存在を消していた。
それが功を成したのか
運動が得意だった事もあり少しモテた(らしい)
自分を全く出せていない自分のことを・・・
陸上の中距離がだんだん速くなり3年の時がピーク。
1500mの自己ベストは4分38秒(だったはず)
トレーニング中毒になっていて、
その時のメニューは今思うと恐ろしい。
[その時のメニュー]
・毎日早朝5キロ走る
・部活で5キロ走る
・帰宅してから5キロ走る
・寝る前腹筋200回
※片足2キロの重り24時間つけた状態
冬の持久走では、1・2年時バスケ部に負けていて
どうしても1位になりたくて受験勉強もせず毎日毎日
自主練で走り、ついに3年生で1位に。
先生に夜走ってる姿が見つかるも
後日、学年の前で褒められるという
何故か好かれていた。
休日はひたすらゲームか漫画を読む。
その中のキャラクターがだんだん成長していくシーンを見ると
その時間、自分自身が全然成長していない事に焦りだす。
戻って2年の時
小学生で金髪・学級崩壊させた中心人物?らしい
(同じ学校の子達大半が怖がってたから多分本当?)
ヤバイ奴と同じクラスになり、何故か仲良くなる。
「和、もヤンキーになってしまうわ」と
ママ友が言っていたと母親情報。
聞いてたほど極悪でもなく、
ムードメーカーで仲間思いの中心的存在だった。
”真面目に”と生きてきた自分に色々教えてくれた友達。
『面白そう』と2年の途中からそいつは陸上に入部。
ますます仲良くなる。
ただ、ヤンチャはヤンチャで
白靴が規則なのに、わざと黒をはいてくる
上級生・他校生と揉める、喧嘩、煙草・・・(笑)
そいつとも未だに仲良く、後日談を聞くと
期待や嫉妬が凄くて[常に明るくいないと]と
精神的に疲れてたらしい。
人の内面は分からないもんやな。と思う。
そんな友達に、
僕も良くお世話になった母親のオリジナル曲を作る。
切ない内容なので、大丈夫な方は聴いてみて下さい。
「モヤシご飯」→https://youtu.be/SyglC_2sW8E?feature=shared
-高校生時代-
工業高校のいわゆるヤンキーが多い男子校に入る。
理由は
女子のキャピキャピした声がうるさいから(後で後悔する)
と早く就職したかったから。
引き続き陸上部に入部。
気合十分でもっと速くなりたいと入部開始日まで待てずに
先生に直談判で早くに入部
なんと先輩よりも記録が速く、目標が無いところからスタート。
同級生もぼちぼち入ってきて、気合が入るかと思いきや
長距離は全員僕の中学の記録より遥かに下。
最初は1人でも頑張る!と気合入れてたが
みんな仲が良く
部活=遊び精神に影響されて
結局自己ベストは中学の頃から8秒速くなった
4分30秒。
卒業後の顧問の話だと、本気で頑張ってたら
良い所まで絶対行けてたそう。
弱いと舐められる、オドオドなんて出来ない。
堂々としておかないと。と、
人から笑われるのが極端に嫌になる。
ダサい=生きてる意味が無いレベル。
外で知らない人が笑ってたら自分の事?
と思ってしまう程に周りの目が気になる。
敬語がダサい、失敗がダサい。
誰に対してもタメ口。
他人と目が合ったら相手が逸らすまで睨み続ける。
逸らさなければ互いに「なんやワレ?」
今思うと超ダサいから
逆に今は敬語が染み付いてるのかも。
の癖に”真面目にしないと”は抜けてなく
ただの偏見で、ヤンキーは一括りに毛嫌いしてた。
態度に凄く出てたからしょっちゅう揉めていた。
そんな時も集団で来るヤンキーで
ますます大嫌いになる。
内心怖いのに「ダサいのは嫌」と言うのが上で
ずっとドキドキしながら大人数に歯向かっていた。
結局停学が嫌で、口だけで揉める事が多く
手が出る事はあんまりなかったけど。
見た目華奢だけど、部活も格闘技もしてて力があると知れると
暴力では来ずに遠くからずっと悪口言われていた。
遠くからの攻撃には怖くて聞いてないふり。
今思うと、集団で弱いとこ突くしか出来ないヤンキーもダサいし
自分も態度悪くてかなりめんどくさい奴だった。
逆に友達には負の感情(怒る・哀しむ)を見せれなくなる。
多分怒ると手が出る、哀しむと嫌われる。
色んな恐怖があったんだと思う。
嫌なことがあったら筋トレをする癖がついて
更にメニューがいかつかった。
[メニュー(残ってたメモまんま)]
・部活で5キロ走る
・帰宅してから10キロ走る
・腹筋(足浮かして50回)
・腕立て(普通50回、腕閉じて20回、開いて20回)
・拳立て(空手流20回、少林寺拳法流20回 縦拳で)
・背筋50回
・指立て20回
・開脚1分×3セット
-プラスアルファ-
・拳立て(横拳20回ずつ、裏拳20回ずつ)
・ウィンドスプリント(背伸びしてふくらはぎのトレーニング)50回
・スクワット50回
・受け身(前後どっちもする)
毎日9時から10時には始める!!
体脂肪6とかでした(笑)
中学の時はカラオケなんて絶対面白くない!ボーリングやろ!
と誘われても断っていたのが初めて行く事になる。
初めて歌ったのが森山直太朗さんの「さくら独唱」
気持ちよすぎて4回歌いました。
迷惑な話(笑)
そんなこんなで
歌いやすい音域、好きな曲調、歌唱力がある歌手を探してると
第一章のEXILEに行き着いて、ドはまりする。
ハモリも気になりだし、コブクロの
「ここにしか咲かない花」をひたすらリピートして
ハモリパートを聞き込む。
そこからハモリにはまりだす。
進路相談の時に進路をノリで[歌手]と書いて
三者面談で親と先生から聞かれると
否定が怖くて「冗談冗談」としか答えれなかった自信のなさ。
結局就職することになる。
-卒業後~24歳(音楽メイン)-
18歳で就職もして、免許も取って実家暮らし。
収入は丸々入るし遊びたい放題の最強の時間。
お金も溜まっていくし、何に金使おうか悩む贅沢な時間。
ビブラート・フェイク・裏声をマスターすると
歌手になれると思い込んで練習しまくる。
youtubeもスマホも無く、独学で練習する毎日。
今は本当に便利な時代!!!
ビブラート習得に3年かかった。
歌は追求してたが、人とまともに話す事をしてこなかった為
いざ、真面目な話をしようもんなら恥ずかしくてふざける方向に。
1対1の会話が大の苦手だった。
理由は会話が分散されず自分の事を聞かれたくなかった為。
昔から笑かさないと自分の存在意義がないと思っていたから
自分の話しを出して嫌われるのが怖かった。
本当の自分を出せなかった。
どれだけ仲良い友達でも少しは距離を作っていた。
人との距離感を作るのが上手だった。
そんな中で今で言うSNSが流行りだした頃、
モバゲーを始める。
コミュニティというものがあり、歌のコミュニティを見つける。
なんとリアルで会う”オフ会”をしようとの事。
その時は知らない人と会うという風潮が無かったから
どんな人が来る?ヤバイことにならない?
と恐怖だったけど、
グループ名に「ハモ〇〇」とついていたので
ハモリ合いが出来る!?
とワクワクが勝って参加。
なんとハモれる人はおらず、僕が全部ハモるという不完全燃焼。
ただ、そこからはそんなコミュニティや色んな人に出会う事になる。
仲良くなり過ぎたメンバーで週3回以上会ってカラオケやご飯。
寝ずに仕事に行く。
今までの最長遊び記録は
朝からカラオケ→晩飯→カラオケオール
→水族館→カラオケ?晩飯?の0泊2日。
その後21時間くらい爆睡。
10人以上で旅行に行く事も。
その時は遊びが楽しすぎて歌よりも優先する。
若いうちに色々無茶してて良い経験を出来たと思う。
別のコミュニティのイベントで
50人規模の投票有り景品有りイベントに参加。
6部屋カラオケを借りて、時間がきたら大部屋で投票上位が歌唱する。
歌唱には自信があったから、名前を売る為に全部屋で歌う。
ありがたいことに上位6人に選ばれて歌って3位になる(笑)
たまたま東京支部から来てた人が歌をかなり評価してくれて
10年経った今でも付き合い継続。力強い握手だった(笑)
別でインディーズで活動してる人を繋いでもらい、ライブハウスデビュー。
路上ライブも助けてくれて、色々お世話になりました。
そこからはだんだんコミュニティメンバーと
歌の情熱に対する距離ができ
1人で音楽活動、オーディションなど動きまくる。
行った事がなかった東京にも何回も行くようになり、
憧れの歌手とも仲良くしてもらえたり
大手事務所に所属して鍛えてもらったり。
順調だったが、停滞期が来る。
本当に歌唱力が上がってるのか。
[歌いたい]ではなく[歌わないと]
でも平日は仕事。
決められた休日で音楽活動。
仕事も休日出勤を勧められ・・・(ほぼ出てないけど)
断るエネルギーでまた疲労。
「もっと音楽活動しないと」
年齢的にもだんだん焦りだす。
(当時は20代後半は対象外がほとんど)
楽しくない。
事務所に向かう運転中、勝手に涙が流れてきて、
本気で車でどこかに突っ込みそうになっていました。
その前に母親の答えを求めてみようと思って
メールで「何も楽しくない」
と送った時の返事で、救われました。
そこから仕事場の先輩に相談して
初めて心療内科というところに行く。
軽い鬱と診断され、薬の効果を見ると
「だんだん元気になる」
なかなか怪しさ満載(笑)
ただ、病名が分かるだけで身体が一気に軽くなる不思議。
それまでは片足2キロの重りつけるよりも身体が重たかった。
「熱とか風邪じゃなくても休んでいいんや」
”真面目に”が絶対やと思っていたからこそ
心の理由で休めるのが衝撃的だった。
職場の人間関係は良くて、
同じ母校ばっかりの元ヤン達で人情の先輩達。
見捨てず叱ってくれたり、心配してくれたり。
常識の無い僕に社会を教えてもらった場所。
ただ、やっぱり音楽を優先したいから仕事を辞める決意を。
なんと新卒から退職者がおらず
辞める選択肢が先輩方には無く・・・
安定から離れる僕を凄く引き止めてくれたけど
『音楽で上手くいかない』という
チャレンジを抑えられる形になったのが辛かった。
今思うと無謀だったけど
辞めてからかなり視野が広がった。
辞めて良かったと思うのはもちろん
そこの会社に入って本当に良かったと思う。
先輩方、その節はこんなクソガキを本当にお世話になりました。
-24歳~25歳(大事故)-
仕事を辞めてからシフトで時間を決めれるバイトをする。
ただ、普通の仕事が嫌で観光地の人と関わる楽しい場所を選ぶ。
※場所は営業妨害になるから伏せる
数ヶ月経って仕事にも慣れてきて
前の会社では仕事出来ない人間だったのが
先輩から頼りにされる、客からも好かれる。
スタッフ同士も仲良いなんて贅沢な空間なんやと
僕は前の仕事が苦手なだけで
仕事出来ない訳ではないんやと。
自信に満ち溢れていた。
そんな中、のど自慢で全国放送デビューしてまさに順風満帆。
衝撃的だったのが、
通過者の中にどこかで見たことある顔が・・・
なんと同じ仕事場の別フロアの女性で
一緒に全国放送に出ると言う(笑)
そんな絶好調の中、一気に落ちる事に。
7月18日だったはず。
言葉の通り仕事中、高所から落下。
6m位の高さだったそう。
顔から落ちて右手をとっさに着いたから
右手複雑骨折、右アゴ粉砕骨折、左ひざ骨折。
傷が複数。
「どうやって着地しよう?」
と思った次の瞬間気絶から起こされていた。
アゴが粉砕されてるから、ペッ!と血も吐けず。
手はなかなかグロテスクになっていた(笑)
救急車で運ばれ、まずはCTで検査。
痛すぎて早く全身麻酔かけて欲しいのに
『親に聞く時間無いから名前と生年月日教えて!」
アゴ粉砕してるからハフハフ言いながら答えて、いざ検査。
『息を止めてください』AIのお姉さんの冷静なアナウンス。
『30秒止めてください』冷静なアナウンス。
『再度息を止めてください』地獄だった。
寝た後は、ぼんやりとした中父親、母親、妹(兄は転勤中)が
別々のタイミングでベットの前にいて、家族の愛を感じた。
全身麻酔は呼吸もしなくなるから、管が喉奥まで通ってて会話が出来ず、
引っこ抜かないように手足は縛られる。
会話は平仮名表を指で指して!と渡されたから
真っ先に「写真撮って!」
断られる。
アゴが粉砕してるから固形物を食べれる訳も無く、
流動食と点滴生活。
同部屋のじいさん『この蕎麦味ないから不味いわ!』
俺にくれ!!
入院中はどこで知ったのか、
毎日入れ替わりでお見舞いに来てくれる人が。
「俺って、こんなに友達おったんや・・・」
中学の腐れ縁友達も、やんちゃな友達もわざわざ駆けつけてくれる。
8月11日、病院で25歳の誕生日を迎える。
朝食のおぼんに[happy birthday]の札が(笑)
消灯後、誕プレで貰ったipodでコブクロの「永遠にともに」を聴いてたら
仲間や家族みんなと重なって「ともに歩き~」
色んな感情が溢れてシクシク泣いてたら
タイミングよく見回りの看護士さんが。
そーっと微笑みながらカーテン閉めてくれる。
緊急手術の後の本ちゃん手術がなかなか予約取れなく、
入院するだけの生活が2週間以上。
何もすることなく
テレビはお金がかかる、歩けない、外にもいけない。
窓側になった時は、外が海だったから
たまに魚が飛び跳ねるのをずっと眺める一日。
本当に助かったのが漫画やラジオやipod。
一番神がかってたのが兄が買ってくれたポータブルTV。
DVDも見れるからずっと愛用していて、10年経った今も手元にある。
一番ふざけた物で言うと、熟女のエロ本。
しっかり袋とじまで見させてもらったけど。
ようやく手術当日になり、検査のために鼻にメンボーを突っ込む。
正直あれが一番痛かった。
アゴと、右手の手術。担当医交代で、
ダブルでするから7時間ほどかかると。
寝てたから全く感覚無いけど、母親はかなりしんどかったと思う。
手術室に運ばれる時もずっと着いてきてくれて。
それだけで本当に心強かった。
後日談で、寝てる時医者が深刻な顔つきで母親のところへ行って、
重大な事が起こったのかと思いきや
『噛み合わせが、下アゴが前に来てどうしても上手くいかないんですよ・・・』
「元からです。」と答えたそう。
手術は無事終わった後も
片手片足が不自由だから退院は出来ず
しばらく入院は続く。
骨が治ってきたからと今度はリハビリ生活に。
一番酷かったアゴはご飯が固形物に変わり
食べるだけでリハビリに。
久しぶりの固形ご飯に、無意識に声が漏れてしまう。
手首と普通の骨折のひざが地獄だった。
手首は回すのも前後に曲げるのも全く出来ず、
リハビリの先生が無理やり動かしていく。
ヒザは裏にボールかまして力技。
冷や汗出るわ出るわ。
ベットに戻ってからも自分で動かしてたら、
動くようになってきたのに水が溜まってくるという。
注射で吸い取って、しばらく動かすなと。
そしてまた動かなくなる。
そんなこんなで9月20日二ヶ月で退院。
外の空気がとんでもなく美味しく感じれる。
おいしー!!って叫んでいた。
些細な事で幸せを感じれる事に感動。
退院してすぐにした事、外食をする!!
マクドにビックリドンキー。
この二つが本気で美味しかった。
肉を食べたい!と言ってた僕の願いを叶えてくれて
退院祝いに父親が神戸牛に連れて行ってくれる。
親の愛情と絶品のダブルでとんでもなく感動。
入院中に58→52キロくらいに減っていた体重が
65キロという人生の中で最大の体重に。
その後1年間リハビリ生活。
地元の病院で毎日出会うおばちゃんと仲良くなる。
完治したらバイト戻ってきてね。とみんなから言って貰ってたけど
まさかの復帰できない事に。
上司の凄い巧みな話術だった。
『健康保険、入院中もかかるから一回退職届だして、
復帰の時また手続きしよう』
自分に一番原因があるのは確かだけど、
戻っておいでと言っていたのが無理です。という
ますます人の言葉が信じれなくなった出来事だった。
他の社員方はわざわざ本社の社長にまで直談判してくれたらしい。
ほんとに良い人達。
短い間でしたがお世話になりました。
-26歳~30代-
休業補償で生活しながらリハビリだけする毎日。
だいぶ腐っていたと思う。
そろそろ何か仕事しないと一生動けんくなる。
そう思って気軽に出来るガソリンスタンドで働く。
高校時代に危険物取扱の資格を取っていたので、
専門の仕事をすることに。
なんと、セルフの給油を許可する仕事。
仕事というほど仕事じゃなく、これまた腐ると思い
身体動かせて、人と接する、子供と触れ合えたら良いな。
母親と話してたら『体操教えたらどうや?』
目から鱗で募集もしていない場所にすぐ連絡、
履歴書持って行ってその後仕事をする事に。
まさかあんなに嫌いだった器械体操を
今度は教える事になるとは思いもしなかった。
人生何があるか本当に分からない。
そこから併用で音楽活動再開。
2ヶ月歌えなかったのが逆に良くて
どうしても抜けなかった歌の癖が消える。
またまた事務所に所属(懲りない)
大手ではないが
トークの磨き方、音楽理論、作詞のノウハウなど
今まで自分が一番気になってたけど
やり方が分からなかった部分を知れた。
そこでラジオパーソナリティも始める。
今まで喋るのが苦手で、身体張って笑かす、
話の途中でふざける。しかしなかったのが
話し方を勉強することでようやく人間に近づいていく。
でもまだ自分を出すのは難しかった。
どうしても欲しかったオリジナル曲。
人に依頼するとオリジナルじゃ無い。というこだわりから
1曲も持っていなかった。
そんな楽曲をようやく勉強して作る事になる。
ただ、初めて作った「心の芽」だけは完全独学で
編曲(色々な楽器を入れる事)は
趣味で作っていた人と出会いお願いする。
その後、現在も開催中のアマドゥライブイベントに
出演者として出ることになる。
野外と言うこともあり
歌力だけでトーク力がない事を痛感する。
音楽の世界はドロドロしていて
自分が一番になる為に蹴落とし合い。
応援してる風で実際はしていない。
メディアも色々複雑で、色々疲れ始める。
僕の歌を聴いた人から『教えて』
という声が多くなり
徐々にボイストレーナーとして活動を始める。
今までは長年培ってきた物を与えるのは嫌だ!
と思っていたのが
喜ぶ・成長する姿を見ると楽しくなってくる。
本格的に始めていく事になるが、また疲れ始める。
”やりたい事を仕事に”と
自由にやっていたつもりが
周りの喜ぶように合わせる、自分のやりたいは後回しになっていた。
何でしてるの?と聞かれても周りみたいに
自信持って答えれる内容が無い。
修行の為に
苦手意識強かったビジネス交流会の主催を始める。
今になって分かったが
自分の知らないビジネス用語や知識に着いていけず
見下されるのが嫌だったからだと思う。
1週間に1回の交流会を数年開催して
色んな人間関係も経て分かった事が、名刺は何の役にも立たない。
何百枚と交換したが、繋がってるのは数人だけ。
無駄な時間だったかというとそうでもなく、
そのほんの数人の中の1人からどんどん素敵な人に出会っていく。
今まで自分ではなく
商品を売ろうとしていた人しかいなかったのが
自分の良さ、自分のやりたい事は何か。
内面を見る人達ばかりに出会うようになる。
今まで歌が得意だから歌を教える。
という固定概念があったのが、
何で歌を教えるのか?
教える事の何が楽しいと思うのか?
本当に歌じゃないといけないのか?
もし歌というスキルが無くなったら自分の良さはどこ?
考えれば考える程分からなくもなるが
だんだん今の自分に疑問が浮かんでくる。
何で歌が好きなんだろう?
今でも答えは完結していないが
今のところしっくり来る答えが
自分を出すと嫌われると思って作りに作っていた自分像を
[開放]して[大声]で[真面目に表現]出来る物だったから。
技術を鍛えれば変な目で見られることもない。
なんならちやほやされる。
今まで一番気にしていた勝敗が無い自由なもの。
今まで感覚だけでそれを感じ取っていたのかと思う。
それが活動中に嫌気がさしてきていたのは、
一番になろうとする人達の集まりに居たから。
どうしても認知度や売り上げの数字で勝敗を決めたがるのが人間だが
本当のところはどの歌声が勝ち。なんて無いものだと僕は思う。
そんな救われた歌や声で他の人も救えたらどんなに幸せなのか。
そこに気付かせてもらえた人たちに本当に感謝。
-現在。和、の想い-
〜何故歌が好きなのか〜
表現も自由、大声出しても変な目で見られない。勝敗が無い。
おまけに技術を磨けばチヤホヤされる。
更にどんどん成長するのが楽しかったんだと思う。
これはゲームの影響?
真面目が苦手、自分を出せなかったそんな僕が
真面目に、大声出して、自分を表現できる。
ただ、会話のときは解放できなかった・・・
そんな人も多い。
想いを大事にする人達に出会えば出会う程、
更に波長の合う仲間達と出会う。
普段から気付きや自分の想いを出せる環境。
それぞれ自分の意見を言い合える環境。
うんうんと肯定をする表面上の優しさではなく
意見をズバッと言いあえる。
違う価値観を受け入れあえる。
そんな中で今まで当たり前と思っていた一般常識が覆されることになる。
思い出させてくれたと言ったほうが良いかもしれない。
[怒ってはいけない][泣いてはいけない]
いやいや自分の感情は大事にしろよ!と
[嫌なことは我慢する][逃げてはいけない]
それは自分を殺してるだけ!と
今まで人に合わせた考えしか出せなかった事が続いて
いつの間にか自分の意見が”無くなる”という悪循環が起こっていた。
声と一緒で普段から出さなくなると、
声の出し方・意見の出し方って忘れる。
世間の常識の中に疑問は沢山ある。
自分の考えを抑えてしまうとそこが見えなくなる。
まさか30年以上、当たり前として経験してきた事の
違和感に気付く事になるとは夢にも思わなかった。
人を全く信じれなかった自分が
支えあえる仲間ってほんとに偉大で嬉しい事だなと、今になって気付く。
現在は仲間の力を借りて
歌はもちろん、子供の頃出せていた大声を出す為のサポートをしている。
本当の自分を解放する為、一歩踏み出す勇気を持つ為。
大声に抵抗が無くなると、意見も言いやすくなる。
→意外と嫌われない事が続くと慣れてくる。
→だんだん自分の想いを、思い出せてくる。
声を出していく内に迷ったり正解が分からなくなったら
長年経験してきた僕の背中を見せれる。
自分が幸せになると、人の為に動きたくなる。
そんな「輪」が、「和」が、膨らんでいく世界を作っていきたい。作ろう!
-腐れ縁編-
小学校では、1年と6年が同じクラスだったはず。
何故か中学から距離が極端に近くなり、
別小学校からの友達は「昔から仲よかったと思ってた!」
と皆んな口揃えて言う。
よくよく考えたら中学では1回も同じクラスになっていない。
先生に混ぜたらヤバいと思われていたのかもしれない。
毎日毎日一緒に部活で走り、帰りに64のスマブラを取りに帰って、
家に遊びに行く生活。
種目もほぼ一緒で、自主練で外を走るのに
一定のスピードでバテずに一緒に走ってくれる。
頻繁にあった陸上の大会当日は、
一駅隣の競技場には必ず一緒に走っていく。
アホのりも同じレベルで付き合ってくれる。
性格は違うけど相性はかなり良いんだと思う。
関西限定?トライヤルウィークでは
様々な職種があるにも関わらず偶然同じ場所へ行く程。
クラスも違うから合わせるなんてこともなく本当に偶然。
ただ、最初は生意気で好きじゃなかった。
日焼けしてる僕には
「おこげ」やら
「うわっ受け口やでこいつ」やら。
わが道を行く、人のコンプレックスは平気でいじる
思ったことは遠慮なく言う。キレられても平気なタイプで
人を傷つけるのが平気なサイコパスだと思っていた。
普通ならみんなから嫌われてもおかしくないのに
友達が多い。意味が分からなかった。
それが徐々に打ち解けていき、
こっちからも気を使わずズバズバ言う関係に。
本当に我が道をいくタイプで、
歴史のテスト、僕のフルネームを書いていたらしく
先生に怒られたと。
本人的には『空白より絶体良いやろ』
今でも普通なら嫌がる事
(ボーリング45ゲーム・朝から深夜までスポッチャ・
バンジーの為に岡山県・雪の中ツーリング・
九州友達に会いに行く時、現地集合、現地解散)
何でもほいほい着いてくるノリのよさ。
変な奴と思ってたけど向こうも同じ事思っていたのかも。
実はツンデレ系で仲間思い。
高校・大学時代修学旅行のお土産をくれる(僕とは違う学校)
毎年変わった誕プレをくれる。
入院中には二回もお見舞いに来てくれる。
最初知らずに「遊ぶぞ」とメールを送ってきて
入院と伝えたらすぐ来てくれた。
アゴ粉砕の件は話してなくて、まさかのリンゴを持ってきてくれる。
観光地では店員や知らない人に話しかけまくる。
何をするのも豪快。
今思うと、僕には持っていない”自分”と言うものを
はっきり持っていたこいつに
憧れもあったのかもしれない。
だから周りも仲良く出来たのかも?
30年来の友達。今後もよろしく!
20歳の頃に「40になってどっちが腹出てるか勝負。」
そんなわけ無いと思ってたけど、ちょっと出始めてる(汗)
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